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木曽三川公園アクアワールド水郷パークセンターの堀田展示を見に行きました。
私はウシモツゴの次に、堀田へ青春を捧げたくらい、思い入れのある溝渠農業形態です。
堀田と淡水魚に関して、口頭発表や何れも共著ながら会報と書籍を書いています。
日淡会でも稚拙な文章を20年近く前に書きました。1990年代に残存する堀田は、
全て見に行ったつもりです。写真も数多く撮りました。そして私は堀田のある大垣生まれです。

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水郷パークセンター(海津市海津町)の堀田は2017年に完成しましたが、5.3km(車で8分)離れた、
海津市歴史民俗資料館(海津市海津町)には、1993年から堀田が既に展示されています。
同市同町に2つの堀田がなぜ必要なのでしょう。何かお金や業績や政治的な臭いがします。
モツゴやツチフキと書いてあるあたり、魚の専門家は入っていないのでしょう。

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堀田を見るとなんじゃこりゃでした。

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蛇篭の上に土嚢を乗せて土を盛る。これは構造から堀田とは違う。
しかもコンクリートによる排水口と、堀潰れを仕切る水門まである。
これを再生堀田とは言い過ぎです。海津市歴史民俗資料館のはもっと再現度が高いです。
管理の楽さを優先したのでしょうが、管理が大変で苦労したのも、堀田の歴史や特長でもあり、
これは近代的に改変し過ぎです。蛇篭と土嚢は、せめて木杭と木板にして欲しかった。
私の好きな堀田じゃない。人力車にエンジン付いた感じ。それを人力車と称している。

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海津市と養老町の境あたりの国土地理院(1982/10/27)の空中写真です。
左上に4つ池があり、数本の水路が左下方向へ並んでいます。これが堀田(河間吹型)です。
その場所(養老町横屋)を頭において陸軍(1945/04/05)で同じ場所を見て下さい。
周りにも堀田が広範囲にあり、4つの池付近が最後の堀田だったことが分かると思います。
この最後の堀田に1983~1984年にいた魚が、内山りゅうさんが発見したウシモツゴです。
ウシモツゴは堀田の消滅と共に、濃尾平野から消えて行ったと考えています。

その後にこの堀潰れも埋められてしまい、池の隣に堀潰れが再現されました。
国土地理院(1987/10/18)に3本ある堀です。これは堀田とは別物です。
そして濃尾平野のウシモツゴは自然絶滅し、飼育下の個体だけが生き残りました。
そのウシモツゴを養老町横屋ではなく、養老町有尾に放流し、里帰りと称する活動もあります。
現在は堀田だけではなく、池も2つが埋められて、悲しい感じになっています。