2002年12月30日に豊川と豊川放水路の合流点でマガキを採集しました。
そこに小さなイソギンチャク類が5~6個付着。大きくなるものとばかり思っていましたが、
1年ほどしても小さいままで、分裂を繰り返していました。種類を調べても判らず、
もしかすると未記載種かもしれないと思いました。インターネットで検索すると、
イソギンチャク分類がご専門の柳研介(千葉県立中央博物館分館 海の博物館)さんに当たり、
2003年12月1日にメールを送って、同定をお願いしました。翌日にご丁寧なご返信を頂き、
2003年12月12日に飼育中の個体を送りました。「全く見たことのないイソギンチャクでした」
とのご返信に驚きました。同定作業は時間が掛かるということで、ワクテカで待ちました。
2年経っても判明しません。そして採集地の近くにある、六条潟(海)が埋め立てられる、
という情報を知りました。これはイソギンチャクの生息にも影響があるし、
もしかすると、このイソギンチャクを利用して、埋め立てを阻止できるかもしれない。
市野和夫(愛知大学)先生に連絡を取りました。2006年4月16日に観察会があるから、
そこでイソギンチャクのことを話して欲しいと言われ、使命感でお引き受けしました。
しかし、柳研介さんには、まだ同定して頂いていません。仕方がなく催促メールをしました。
2006年4月8日に暫定的な同定としてご回答を頂けました。正直待ちくたびれました。
「体壁が滑らか、足盤がある、触手に短基無鞭刺胞もしくは短基p型有鞭刺胞がある、
槍糸が無い、capitulum(襟状部から触手にかけて通常の体壁と異なる(薄い)形状を
見せる部分)がある。このような形質の組み合わせを持ったイソギンチャクは、
科のレベルで知られていません。」未記載種どころではありませんでした。
まさか未記載科の可能性すらあるとは驚きでした。この頃には水槽の個体は消えました。
そして和名は「トヨカワギンチャク」で良いのではないかという提案もありました。
豊川は正確にはトヨガワなので、産地由来ならばトヨガワギンチャクでしょうね。
2006年4月16日の観察会。私はイソギンチャクのことは、さっぱりわからないですが、
プロジェクターを使い、こんな珍しいのがいる、大事にしましょうと伝えました。
発表後は観察会を取材に来られていた、マスコミ数人に取り囲まれ、色々と聞かれました。
当時の私は生息地公開を、非常に問題だと思っていたため、マスコミに流れると、
例え干潟の埋め立てという、緊急事態が差し迫っているとはいえ、あっ西村は口ばっかりで、
自分は生息地公開しているんだなと思われるのが嫌で、とにかく出さないでくれと断りました。
しかし、そこはマスコミです。朝日新聞だけは、引き下がらず、しぶしぶ記事にされました。
翌日に「イソギンチャク、新種…? 名古屋の男性 観察会で報告」というタイトルで、
柳研介さんにも取材されて、イソギンチャクの写真入りで、新聞記事になりました。
名古屋の男性で止めて下さったのは有難かったです。
柳研介さんは私が採集した場所へ、サンプリングへ行きたかったようですが、
千葉県からは遠く、予算も出なかったようで、2007年3月16日から連絡を取っていません。
現在2017年ですが進展なく、謎のイソギンチャクは論・報文にもなっていないと思います。
どうなっているんでしょうね。その後に採集場所へイソギンチャクだけを探してみましたが、
タテジマイソギンチャクばかりで見つかりませんでした。どなたか再び見つけて下さい。
バラストタンクで運ばれて、一時だけ生息していた、外来生物の疑いも十分ありますが、
この種類は未記載種の疑いもあるため未同定とせず、同定済ということにします。
同定済818+未同定182=1000種類になりました! これも皆さんのおかげです(多謝)。
ここまで8年8箇月も掛かっているので、次は2000だ10000だとは、とても言えません。
同定コメントを下さる方々のおかげで、818種類は同定済となりましたが、
次の目標はこれを1000にしたいです。今後とも宜しくお願いします。