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2024年8月10-11日は京都府でヤマノカミ君と採集しました。
ナカセコカワニナとハベカワニナの模式産地の特定は、カワニナ類に強い興味を持ち始めた、
2010年春から私を悩まし続けるものでした。今年2月もようやく真模式産地を特定したと思い、
ヤマノカミ君と林さんのお蔭で、命懸けで宇治川へ潜りましたが、ここは間違いでした。

始めにナカセコカワニナの原記載論文ですが、和文で簡単に新種記載されています。
重要なのは189ページのナカセコカハニナ(新稱)ですが、模式産地や模式標本を記しておらず、
読む側が推測するしかありません。模式産地は「宇治川(中瀨古, 黑田, 福岡),
山科疏水(黑田, 福岡).」という記述と、図(193ページ)が南郷(宇治川上流).(福岡氏)と
宇治(宇治川)の2つしかないことから、山科疏水ではないと強く否定できます。
南郷(実際は瀬田川)は、献名者(中瀨古氏)と新種記載者(黑田氏)ではない福岡氏なため、
こちらも否定できます。ということで、模式産地は宇治(宇治川)だと確信を持てます。
模式標本は3つ(シンタイプ)で、さわだ君らの調査だと行方不明だそうですが、
宇治川で広く見られる定型的な殻形態をした、ナカセコの成貝だと思われます。


それでは宇治(宇治川)のどこが模式産地なのかです。
私が初めて知ったのは、日本産淡水貝類図鑑(1)で、ナカセコの模式産地として、
宇治橋左岸上流あたりの写真が掲載されていました。現地の近くに立て看板もあったので、
疑うことは無かったです。しかし、宇治橋左岸上流の出典や根拠を探しても見つからない。
同じ著者の紀平氏がご執筆された、日本の希少な野生水生生物に関する基礎資料(Ⅲ)には、
「宇治橋付近が模式産地とされている」とある。されているという意味からして、
出典はあるばずですが見つけられず。悠久の流れと景観を未来に託すという資料には、
「宇治橋左岸付近を模式産地として」という記述と、51ページの地図で断定されているが、
150mくらいの割と広い範囲でした。例えば黑田氏などに教えてもらっていたならば、
もっと絞れないものだろうかと想像しました。紀平氏説は確証が持てないと思いました。

カワニナ属3種の核型の再検討で高見氏は、京都府宇治川左岸(34°53´11˝N,
135°48´48˝E)としていますが、出典が原記載論文で、こちらも根拠に乏しいと思います。

重要な手掛かりはハベカワニナを新種記載したDavis, 1969です。抜粋と翻訳。
「Station 8 (Text Figs. 2 and 3). Types of Semisulcospira habei; Topotypes of
S. nakasekoae.
Kyoto administrative district, Uji City, Uji River, 24 July 1965 and 9 November 1965.
Snails were collected from both sides of the river opposite the railway station of
Uji and from the banks and on stones in the rapids at the eastern edge of Togashima,
an island in the middle of the river. Topotypes of Semisulcospira nakasekoae were
collected from the rocks in the rapids and from rocks in the shallow quiet water of
the western bank of the river. S. habei, new species, was collected from rocks and
the embankment of the eastern shore of the island.」
「地点8 (本文図2と3)。Semisulcospira habei のタイプ、S. nakasekoae のトポタイプ。
京都府宇治市、宇治川、1965年7月24日と1965年11月9日。宇治駅の対岸の川の両岸と、
川の中央にある島、Togashima東端の瀬の岸と石から巻貝が採集された。Semisulcospira
nakasekoae
のトポタイプは、瀬の岩と川の西岸の浅く静かな水域の岩から採集された。
新種の S. habei は、島の東岸の岩と堤防から採集された。」

Davis氏はナカセコのトポタイプを、Togashima東端の西岸で捕ったとしています。
トポタイプとは担名タイプ(ナカセコのシンタイプ)と同産地で捕った標本のことです。
Togashimaとはどこか。塔ヶ島=塔の島(塔ノ島)のことではないでしょうか。
ヶとの(ノ)は連体助詞で、塔がある島という意味で、塔ヶ島と塔の島は同じと解釈できます。
鬼ヶ島と鬼の島は同じ意味だと思います。現地の人は塔ヶ島って呼んでいたかもしれません。
そう結び付けるのも根拠があって、当時の航空写真と記述の地形がそのままだからです(後述)。

Togashima=塔の島は、読んだ時にすぐにわかりましたが、東端で混乱しました。
現在の塔の島に東端と思われる場所はありません。瀬(急流)も近くには無いです。
この記述は信用できるのか疑問で、一旦頭から消してから地点8を確認します。
そうすると塔の島よりも2kmほど下流に矢印があります。京滋バイパスすぐ上流でした。
ここがナカセコ(ハベも)の模式産地に違いないと思い、本文は何年も無視していました。
その後に他の論文などでも、京滋バイパスあたりの採集個体を使われているのを見て、
模式産地は特定したと安心していました。数箇月前に改めてDavis, 1969を見ると、
図に今は埋め立てられた大中湖がある。ハッとしました。1965年の塔の島を確認せねば。

国土地理院に1967年5月15日がありました。こちらの16ページ(昭和42年)は濃くて見やすい。
1965年の2年後なのは考慮しないといけませんが、1967年の塔の島には東端があったのです。
そこには瀬の岸の石、西岸の浅く静かな水域、島の東岸の岩と堤防、全てありました。
少なくともDavis氏が新種記載したハベは、島の東岸の岩と堤防で間違いありません。
現在は一部が埋め立てられています。それではナカセコは西岸の浅く静かな水域なのか。
これは慎重な検討が必要です。Davis氏がトポタイプと記述していても、合っているのかです。

Davis氏は波部氏に多く助けて頂いているようで、ナカセコについても同様だと思います。
原記載論文の日本語を正確に読めたとも思えませんし、採集場所やトポタイプの言及は、
波部氏の助言からだと思います。波部氏はおそらく黑田氏から教えてもらったのでしょう。
勝手にストーリーを妄想すると、ナカセコの模式産地を黑田氏→波部氏→Davis氏と伝え、
Davis氏は塔の島東端の西岸の浅く静かな水域へ行きました。ナカセコが捕れました。
ついでに、東岸の岩と堤防へ行ってみました。ナカセコじゃないのが捕れました。
それが当時は未記載種だったハベ。そして波部氏への謝意で献名ではないかなと。

真相に辿り着いた気になりましたが、それでは紀平氏はなぜ宇治橋左岸付近としているのか。
黑田氏や波部氏に教えてもらわなかったのでしょうか。私ならばすぐ訊いちゃいます。
私は30年ほど前に大阪市北区堂島にある淡水魚保護協会(青泉社)へ年に数回ほど、
何かと理由を付けて木村英造氏へ会いに行っていました。その時に理事だった紀平氏が、
事務所によくおられました。ほとんど話をされた姿を記憶していません。
魚類自然史研究会でも何度かお会いしましたが、会話をした記憶はありません。
ようするに、ナカセコの模式産地ってどこですか。って訊いていないかもしれません。
もしも、教えてもらっていたら「模式産地とされている」とは書かないでしょうし、
黑田氏や波部氏に教えてもらったことを、根拠として書くのではないでしょうか。

Davis, 1969には気になる記述がまだ残っています。宇治駅の対岸の川の両岸です。
対岸の川の両岸が意味不明です。どこの川でも対岸に両岸なんて無いからです。
宇治駅からは線路が対岸へ続いています。その両側の岸という意味ではないでしょうか。
この場所へ行くには通常は宇治橋を渡ります。紀平氏の宇治橋左岸付近という説は、
宇治駅の対岸のどこかということで、宇治駅の対岸→宇治橋左岸付近→宇治橋左岸上流、
と移行したのかも。曖昧な表現や範囲が広いのは、これで説明がつく気がします。

某氏はナカセコの模式産地は不明なので、天ヶ瀬ダムから京滋バイパスまで、
広く模式産地としておけば良いではないかという意見です。それもありだとは思いますが、
京滋バイパスまでは間違いだと思います。ナカセコ記載論文は1929年ですが、
当時に宇治市は無く、宇治と言えば宇治上神社のある、久世郡宇治町だと思われるからです。
京滋バイパスは久世郡槇島村にあるため、宇治ではなく槇島とされるはずです。

ハベの模式産地は特定できたと思いますが、ナカセコはまだグレーです。
ただ、塔の島東端の瀬から西岸の水域が、現状では妥当性が高いのではないでしょうか。
暫定的にナカセコの模式産地としておきます。この宇治川の派川は塔の川と呼ぶようです。
採集記事なのに序論が異様に長いけど、自己満足の妄想を垂れ流しただけです。

ファイル 1902-2.jpg
ということで、ナカセコとハベの模式産地へ、ヤマノカミ君と採集へ行きました。
ナカセコの模式産地はたくさんいました。写真左の下3つがきっとトポタイプでしょう。
ハベの模式産地は3時間近く(集中していたのは2時間くらい)、2人で頑張りましたが、
成貝1+幼貝1+陸死成貝2だけでした。写真左の上3つは、ナカセコ、陸死成貝、幼貝。
写真右は唯一捕れた成貝(胎殻は出ず)です。ここまで少ないとは思いませんでした。
風前の灯火です。主要生息地は上流にあって、流れ落ちて来たのでしょうか。

天ヶ瀬ダムの放水量によって、増水と減水が激しい場所で、岸にはナカセコの死体が多数。
殻はあまり多くなく、ほとんどは蓋を閉じていて、太陽で石焼きなっている感じでした。
その中を探すもハベは陸死成貝2だけ。ここでトポタイプを捕るのは難しいですよ。
それとは別に減水しないと入れないのと、その時でも水難事故になる危険性は高めです。
これを見て捕り行く人がいるかもしれないので、一応注意喚起しておきました。

ファイル 1902-3.jpg
別の場所です。綺麗なカワニナ種群が捕れました。ヤマノカミ君お疲れ様でした。
今回の採集でご助言を下さった方々、ありがとうございました。お陰様で捕れました。

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