輪中と淡水魚




●輪中とは
文献による輪中の定義は、「治水から耕地や集落を防御するために、その周囲に堤防をめぐらしたものでこの囲堤のことを輪中と称した。 そしてこの輪中をひとつの生活の単位としてそれぞれ水防共同体を形成している特異な地域」とあり、 「水防共同体として特異な社会構造をもつっている輪中地域は、 木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)流域のみに見られるもである」とも記してあります。 輪中に関しては小学校で勉強された方も多くいらっしゃるのではないかと思います。
輪中地域を淡水魚関連からの視点で見ると、「輪中地域と呼ばれる場所にある水域は、 淡水魚にとって特殊で良好な生息水域を図らずも提供し、 その中の魚を捕るために生まれた独自の漁法が存在する地域」と勝手ながら私は位置付けたいと思います。

●輪中の水環境
輪中には以下のような水環境があります。
【堀田】
伝統的な水田形態のひとつです。詳しくは下記。
【がま】
輪中地域では湧水が湧く場所をがま(河間)と呼んでいます。小規模な池や湿地帯状の水域から、たたみ1畳程度の石垣などで囲いがされた水域まであり様々です。水温は湧水が枯れない限り15℃前後を保っています。がまにはハリヨやアブラハヤなどが主に見られます。
【池・沼】
堤や堀田を作る際に採土したところが輪中には多くあり、それらが池や沼のようになったようです。また、輪中には防火用水が各地にあり、小さな池のようになっています。しかし、最近は水槽状の地面よりも高い位置に設置された極めて人工的なものがほとんどです。
【輪中外堀】
輪中間にある水の通り道を示します。そのほとんどは河川として名前が付いています。輪中間の距離は様々でそれによって、小河川や中河川まであり、池や湿地まで存在するところもあります。
【悪水路】
輪中内に溜まった水を排出するためにある排水路です。輪中地域では通り江や江通と称されています。それぞれの輪中内のほぼ中央付近を土地の低い方向へ1本のやや幅の広い水路が認められる場合そのほとんどは悪水路です。
【輪中内堀】
輪中提の内側をぐるりと囲むようにある水域です。輪中提の土を盛る際に採土された場所が多いようです。池状の水域から湿地まで存在します。

●堀田とは
堀田とは濃尾平野にある輪中地域に作られた溝渠農業を示します。現在、堀田は土地改良事業により一部を除き消滅しました。
溝渠農業とは文献によると、関東の大宮台地の周辺部、下利根の水郷地域、新潟県鎧潟、富山県十二町潟、福井県九頭竜川河口部、伊勢湾北部の干拓地、岡山県児島湾北部の干拓地、島根県宍道湖周辺、筑後川平野、佐賀平野などの日本の代表的な平野部に多く、国外では中国揚子江下流などにも存在したことが報告されています。濃尾平野輪中地域ほど溝渠の面積比率が大きい溝渠農業地域はほとんどなく、堀田と呼ばれて特別視されています。
溝渠農業である堀田とは具体的に示すと、まわりの土を掘り上げて盛ってできた水田面と、その掘られてできたクリーク・沼の総称です。輪中地域では前者を堀上げ田、後者を堀潰れと呼んでいます。
堀田はなぜ作られたかと言うと、低湿地域に水田を作ろうとした場合、排水の悪いそのままの状態では稲が常に水に浸かった状態になり、水損不作になります。それを防ぐために一部の土地を犠牲(堀潰れ)にして盛土面(堀上げ田)を作ったわけです。
堀田は形態や構造の違いにより、以下の3つに類型化されています。
【河間吹型堀田】
水田中に湧く湧水を排除するために設けられた細長い溝渠で、それらの堀潰れは不規則なものが多い。水深は湿地状の場所から2mを越えるところまである。水温を15℃程度に保ち緩やかに水が流れことがほとんど。堀田の中でも存在していた地域が少ないタイプである。冬季の淡水魚の避難所として利用されていると考えられる水域もある。ハリヨなどが現在でも生息するところがある。
【孤立型堀田】
堀潰れが短冊状に並び、水路とは直結せずに孤立している。通常水深は浅く、時には湿地になったり干上ったりもする。梅雨時などには排水路や堀上げ田と繋がる。これは、小規模の溜池やわんどなどの環境に近いものと考えられる。
【田舟型堀田】
水はけが最も悪い場所に存在した堀田で、規模も大きく堀上げ田と堀潰れの比が6対4、あるいはそれを上回るところもあった。堀潰れは櫛の歯状や梯子状で、水深は平均的に見て1〜1.5mと深い。ほとんどは悪水路と直結する。流れはほとんどなく止水である。田舟でしか水田へ行けないところが多い。田舟型堀田の付近には未開墾の場所もあり、そうした池や湿地も水生生物たちとって重要なところだと言える。

●堀田と漁
輪中地域の郷土料理は水生生物を食材としているものがいくつもあり、たとえば、鯉・鮒の刺身、鮒の甘露煮、鮒の味噌煮、モロコの佃煮、モロコの押し寿司、また、エビ・カニ類、淡水貝類などもあります。現在でも祭りや正月に川魚を食べる習慣が残っている地域もあります。川魚料理を扱う専門店も人口比率的には多いように思います。それほど淡水魚をはじめとした水生生物が豊富だった証拠にもなることでしょう。
聞きこみで得られた情報で、堀田で魚捕りをしたというものを2例知ることができました。ひとつは、かえどり、と称し堀潰れを締め切って中の水を出して、たも網や手づかみで淡水魚や二枚貝などを根こそぎ捕るというものでした。もうひとつは、どろかき、と称し堀潰れの水が減ってくると行える漁で、堀潰れの中の水をどろどろ状になるまで引っ掻き回し、魚がそれによって酔い浮いてくるところをたも網で捕るというものでした。その漁での漁獲は非常に多かったようです。

●堀田と淡水魚
近年、水田はビオトープなどと言われ淡水魚などにとって重要であると考えられています。その理由として、水田が淡水魚の産卵や仔稚魚育成場所に利用されているからです。また、水田と水路が繋がることによって、淡水魚の移動が可能となり、近交弱勢など集団の遺伝的劣化を抑制させることができるからです。水田は人間が自然を作り変えた産物でありながら、図らずもそれが淡水魚たちに利用され、共存が可能となった環境だといえるでしょう。しかし、そうした水田はほとんど土地改良され、現在水田と水路はほとんど隔離され、魚たちの移動はできなくなってしまいました。では、堀田はどうなのでしょうか。移動は非常に広範囲にわたって可能です。そして、先に記したように様々な環境があり、淡水魚にとって生息水域の選択幅が広かったはずです。また、その他に堀田は単純な構造ではないという特徴もあります。堀上げ田の盛土の崩れを防ぐために使った木の杭・板や石垣、植えられた柳や榛の木、豊富な水生植物など、それらは、隠れる場所、産卵床、餌の供給源となり淡水魚たちにとって良好な環境をもたらしたといえるでしょう。
残念ながら堀田に生息する水生生物相を報告した資料はほとんどなく、淡水魚の明確な種類を特定したものは、内山氏(参考文献:淡水魚終刊号)の「ウシモツゴPseudorasbora pumila subsp.の形態と生態」だけ(原文は除く)しか確認できませんでした。この論文のウシモツゴ生息水域は輪中地域に偶然的に土地改良が行われずに残っていた良好な堀田でした。報告されている淡水魚は、タモロコ、デメモロコ、ゼゼラ、モツゴ、ウシモツゴ、カワバタモロコ、キンブナ、ギンブナ、ゲンゴロウブナ、コイ、イチモンジタナゴ、タイリクバラタナゴ、ドジョウ、シマドジョウ、ナマズ、ミナミメダカ、カムルチー、オオクチバス、ヨシノボリ(橙色型)の7科19種で、堀潰れの水深は1〜1.7mで池は2mを越し、水生植物が多く見られたようです。その他の詳細な環境は文献などを参照してください。この堀田はその後、土地改良事業によって結局なくなりました。そして、濃尾平野からウシモツゴ生息水域の報告も同時になくなりました。ちなみに、現在イチモンジタナゴとデメモロコは濃尾平野で著しく減少しています。

●まとめ
私は一部にしか残っていない伝統的溝渠農業(堀田など)を以前のように復活させたいという気持ちはあっても、 あまりにも現実的ではないのでそれを強く訴えるつもりはありません。 溝渠農業は現代人にとっては不便なものですし、現在の水田形態を支持しますが、 その反面、溝渠農業のような淡水魚にとって良好だった環境を、完全に消滅させても良いとは思いません。 溝渠農業が今まで淡水魚と共存してきたように、 生産効率を追求する現在の水田形態を少しでも見つめ直す時がきているのではないでしょうか。 その溝渠農業の代表として堀田を取り上げました。 堀田の消滅が淡水魚減少に繋がるという裏付けに近い内容になっていれば幸いです。
ここまで溝渠農業を過大評価してきましたが、それは今の水田形態と比べてよい環境だと考えているだけです。 水田の話からずれますが良く思うのが、河川氾濫原に対する過大評価です。 河川氾濫原も元は自然氾濫原のところが多く、 河川氾濫原などと、聞こえは良いですが人工的環境に過ぎません。 その人工的環境に適応できた魚のみがこれまで生き抜いて来たのだと思います。 何かが生まれれば何かを失うというのは、生き物でも同じですし、 やはり失った存在を無視して、今見られるもののみに注目し過ぎているのは良くない傾向でしょう。 減少傾向の魚たちはある意味に置いては、人工環境に適応できなかった魚です。 そういう魚を無理やりに人工物に適応させようとしている気がしなくもないのです。 人工環境を自然と位置付け、それを堅固に守る形態が見られることがありますが、 人間が維持管理しないといけない自然は、自然ではないはずです。 以前に、田舎を車で走っていて、隣に座っていた方が、 田んぼがたくさんあることに対して、「自然がいっぱいあっていいね」 と言っていました。 しかし、そこは自然を壊して作った環境です。 その上にいる魚は、人工環境適応魚だけだということを知ってもらいたかったです。
米も外来種ですが、日本人にとって重要な食料になっています。 これは人間の生きていくための食料を重視するという意味で考えないといけない問題です。 移植は良くないことだと私は思いますが、食糧事情から見て仕方がない現実でもあります。 ただし、日本の食糧事情を考えれば、日本に置いて新たに移植をする必要は今のところないと考えます。 今は良いからといって、その研究の足を止めることも間違いですが、 少なくとも自分勝手な移植や放流は、慎んでほしいものです。


堀田は1990年代前半まで僅かですが残存しているところがありました。しかし、そうした堀田も近年はほとんど土地改良されてしまい、比較的規模の大きかった場所や水域はほぼ消失してしまいました。以下画像は1990年代に存在していた残存的な堀田をご紹介致します。一部の地域は現在も残り続けています。


堀田の付近の素堀水路  堀田の付近の素堀水路  堀田の付近の素堀水路  堀田の付近の素堀水路  堀田  冬の枯れた堀田  堀田  堀田  堀田  堀田の付近にある川  潰された堀田
岐阜県にあった孤立型堀田です。以前は淡水魚なども確認できました。その周辺には素掘りの水路と休耕田などの湿地もあり、ビオトープ的な良い環境でした。真夏には水田面と堀潰れとが繋がり、冬期には水が枯れてしまうこともありました。現在は完全に潰されてしまい魚と堀田文化は一掃されてしまいました。

堀田  堀田  堀田  堀田
岐阜県にあった堀田で型はおそらく孤立型と思われます。かつてはカワバタモロコなども生息していました。現在は完全に潰されてしまっています。

堀田  堀田  堀田
岐阜県にある堀田で型は不明です。2000年の秋にまだ確認しています。魚影も見えました。

堀田  堀田の堀上げ田を支える木杭
岐阜県にある河間吹型堀田と思われますが、湧水が現在出ているかはわかりません。この堀田にはかつてウシモツゴが生息していました。しかし、現在はブルーギルしか見当たりません。

堀田
岐阜県にある河間吹型堀田と思われますが、湧水が現在出ているかはわかりません。水深は深いようでした。

堀田
岐阜県にある小規模な田舟型堀田の残存したものと考えられます。冬季になると枯れてしまいます。これは水門などの管理によるものだと思います。

堀田
岐阜県にある小規模な田舟型堀田の残存したものと考えられます。堆積物により水深は浅いです。

大阪の溝渠農業  大阪の溝渠農業  大阪の溝渠農業
大阪府枚方市にある溝渠農業です。この写真は淀川堤防から撮影しました。魚影は確認できましたが、水質は家庭雑排水の影響なのか汚れていました。

参考・引用文献 ※不備がある場合は改めますのでお手数ですがご連絡ください。
□ 輪中と治水 岐阜県博物館編集 岐阜県博物館友の会発行 1990.4.25
□ 魚類自然史研究会会報 ボテジャコ 創刊号 魚類自然史研究会発行 1997
□ 淡水魚 終刊号 財団法人淡水魚保護協会 1987
□ 本阿弥輪中 松原義継 1977